Home » 2010.7.25 浦添の歴史探検
浦添市観光協会の『 T 』です、暑い夏どうお過ごしですか?
夏休み最初の日曜日(といっても社会人は夏休みなど関係ありませんが)。
毎年この時期に開催されている、NPO法人「うらおそい歴史ガイド友の会」主催の「浦添グスク・ようどれ探検」のお手伝いに「T」と「N」で参加してきました!
以前参加した「うらおそい・地域散策・牧港巡り」バージョンの紹介はこちら!

出発地点のようどれ館前では、当日参加の方、夏休みの家族参加、歴史に興味のある学生さん、地元の歴史探究されている個人の方など様々な参加者が。

「T」と「N」は駐車場係を担当、浦添市教育委員会の皆さんと分担してサポートしました。(上の写真は「N」氏、頑張ってます。)
ひと段落した所で、最後のに出発するグループに混ぜてもらい参加しました。


各班に分かれ、ようどれ館をスタート!すぐ側の浦添城跡を目指します。
夏日ですが朝早く、風も有り気持ちのいい天気、途中でサンニン(方言で月桃のこと)の花が咲いていて夏を感じます。

「浦添城跡」は城の機能として地域を見渡せる高台に築かれたので(一番高い所から沖縄を挟んでいる太平洋と日本海を見ることができます)現在でも下の住宅街を広く見渡せます。
また周辺は歴史自然公園整備が進み、休憩、展望用の東屋やトイレなどが整備され、ウォーキングや散策に打って付け!
ふと下の公園を見ると、ヒジャー(方言で山羊)が朝から飼い主とお散歩(のどかです)。

途中の畑の垣根に「オキナワスズメウリ」が赤く実を付けていました。

ガイドさんの案内で浦添城跡内の、沖縄学の父・「伊波普猷の墓」へ、那覇出身ですが浦添が首里以前の古都であったことを最初に論じた「浦添考」など、ゆかりの深い地と海が見える場所に墓をとの遺言からこの地に眠っています。(建設当時は草木も低く真正面に海を見ることができたそうですが今は見えません)

ガイドさんが伊波普猷を称えた碑文を丁寧に解説してくれました。
それにしても城跡内にお墓を作るとは、ある意味贅沢だなと思いました(笑)。

墓を後にして、城中心部まで歩きます。
近年ほんの一部ですが、発掘調査の成果が、ようどれ(後ほど紹介)や城壁の修復に生かされました。
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修復中の城壁断面を見ることができどのような積み方か一目瞭然、。

戦火の中残った城壁の一部や崩れた壁石も組み直し修復されています。
城跡内の遊歩道は広く整備され気持ちがいいです。

現在の城跡頭頂部は草原が広がっています。

城跡の一角に木に囲まれた大きな窪地があり、御嶽(拝所)「ディーグガマ」(方言でデイゴの洞穴)と呼ばれる場所があります(戦前に大きなデイゴの木が有ったことに由来、古琉球時代は渡嘉敷嶽(とかしきたき)と文献に表記があります)。
現在、窪地の横にデイゴは無く、津々浦々の平和を願った「浦和の塔」が置かれています。
実はこのガマの中に深い洞穴があり、納骨堂として沖縄戦の混乱で亡くなった方を弔った経緯があります。

窪地に下りると、ブルーシート下が納骨堂、真ん中に「浦添王子遺跡」と書かれた石碑(近世の物)、右側は御嶽(拝所)用の香炉が置かれ、神秘的。
城としての立地の良さが沖縄戦でも重要視され、激しい攻防の地となってしまい、本来神聖な祈りの場所である「ガマ」に、日本兵や住民が隠れ、沢山の命が無くなりました。
そんな古琉球の歴史と近代の歴史が交錯する場所でとても考えさせられます。

牧港(地名)を見降ろしながら古琉球時代と沖縄戦の話に皆さん真剣に耳を傾けています。
一部の発掘調査が行われていますが、戦争により地形、遺構の破壊や損傷、文献、文化財の焼失が歴史解明、遺構の復元の一番の問題点となっています。

本殿跡と思われる遺構を見せるため、一部の草を刈り取ってありました。
柵の向こう側は現在傾斜地になっていますがアメリカ軍による土地の切り崩しがあり、本来は平地その平地に向かって本来の本殿跡の遺構が続いてるそうです。
ここでも歴史的に重要な部分が戦争によって無くなっていました。


城跡を横断する形で反対方向へ下りると開けた場所が。
ここが城の正門前だった場所と考えられ(ツアーで入って来た入口は戦後便宜上に通された道だそうです)、市内に残る石畳に続いていたということです。
正門前広場であったことを物語る「浦添城の前の碑」前の大きな石は「馬ヌイ石」と呼ばれていて馬に乗るための石だったと伝えられています。

石碑は王の命令により、国民が力を合わせて首里までの石畳を整備したとの記念碑になっています。(戦争で破壊され最近復元されました。)

石碑から向こう側を見ると組踊の始祖、「玉城朝薫の墓」がトンネルの上に微かに見えます(亀甲墓と呼ばれる形の初期の形式を残しています)。
石碑の近くに復元された石畳。

うっそうとした森を抜け、住宅街の中にある「仲間樋川」(なかまフィージャー)へ。

石灰石の削りだしで作られた樋が立派です。
生活に直結する場所も神聖視されていたことが分かります。
最近の発掘調査によって昭和10頃の姿に戻し復元されました。

水口から「飲料・炊事用→行水・洗濯用→馬の水浴び・農機具水洗い→田畑へ」と無駄なく利用されていました。
そして仲間地区にある拝所群のもう一つ「クバサーヌ御嶽(うたき)」へ移動。

クバとはヤシ科のビロウのことで、私が知っている限り、このような祠型の聖地によく生えています。
現代人の私にはトロピカルなイメージの木ですが、昔の人が神聖な木として見ていたことが分かります。
現在敷地内には生えていませんでしたが住宅街の中にポッンと大きな木に覆われた場所で中に入ると別空間という感覚でした。


メイン道路から浦添城跡までの道路が最近整備され散策しやすくなりました。
「ようどれ館」にもどりこれから行くようどれの事前学習(ここでは展示物、紹介映像、そして一億円を掛けた西室(英祖王陵)の内部の実物大レプリカで墓内部を疑似体験できます)。
ちなみに現在のようどれは、江戸時代、その当時の王さまの命令により改修された当時の姿で復元、整備されています。


3っある石棺は、中国から輸入され、沖縄で加工されているそうです。
レプリカなのでベタベタ触って彫りこまれたレリーフを確認することが出来ます、ハスの葉に乗るカエルを見つけました、その当時の石工の遊び心でしょうか?。
よそしていよいよ本物のようどれへ。

「ようどれ」入口では給水ポイントが設けられていてホッ、と一息。

今日最後の探検地点ようどれへ、下に降りる階段も整備されています。
降り切ったところに美しい曲線の石積み壁が。

ようどれ前は公園として整備中、実はここに沖縄最古の寺「極楽寺」が有ったと伝えられています。
戦争の影響や戦後の開発によって地形が変化し最近の土木整備によって昔の想定される地形に盛り直されました。

向かって左側が「東室(尚寧王陵)」入り口にはシーサーが(もとは対で一体は戦争の混乱により紛失)、愛嬌のある仕草でより中国的な要素を残しています。

右側は「西室(英祖王陵)」、四角い孔がポイントになっています。
よどうれ館に戻るとパンのプレゼントが!美味しく頂きました~。
久しぶりの軽い運動と、歴史の勉強、自然に触れることができ大満足のよくばり歴史探検でした!
オススメです、毎年開催されるのでぜひ参加して下さい!
お問い合わせは
「浦添グスク・ようどれ館」
NPO法人「うらおそい歴史ガイド友の会」
【開館時間】 午前9時~午後5時
【入館料】 大人(高校生以上)100円
小人(小・中学生) 50円
※市内小・中学生は無料!
【休館日】 月曜日・12月28日~1月3日
【電話】 098-874-9345
まで。