歴史スポット特集


浦添城跡(うらそえじょうあと) [国指定史跡]
初期琉球王国の歴史・ 文化を理解する上で重要なグスク(城)であるとして、国の史跡に指定されています。
浦添城跡は、琉球石灰岩の丘陵地にあり、東中国海を展望することができます。
沖縄県浦添市仲間2丁目
バス:系統番号55番乗車「仲間」バス停下車、徒歩5分
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駐車場:有り
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玉城朝薰(たまぐすくちょうくん)の墓 [市指定史跡]
道路計画のため現在は墓下に前田トンネルが通っていますが、その際、修復整備されました。
玉城朝薫は1718年(34歳)に、冊封使歓待のため踊奉行に任ぜられ、この時に「組踊」というこれまでにない音楽・舞踊・台詞を総合的に取り入れた琉球国歌舞劇を生み出し、組踊の創始者として知られています。
沖縄県浦添市前田
バス:系統番号56番乗車「前田西入口」バス停下車、徒歩10分
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駐車場:無し
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浦添ようどれ [国指定史跡]
浦添城跡の北崖中腹に初期琉球王国中山王陵(ちゅうざんおうりょう)・浦添ようどれはあります。
「ようどれ」とは夕凪(ゆうなぎ)を指す琉球語と伝えられていますが、極楽を意味するとも考えられています。
浦添ようどれは、英祖(えいぞ)王陵と尚寧(しょうねい)王陵の墓室があり、向かって右が英祖王一族、左が尚寧王一族の墓室と伝えられています。
沖縄県浦添市仲間2丁目(浦添城跡内)
バス:系統番号55番乗車「仲間」バス停下車、徒歩5分
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駐車場:有り
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伊波普猷(いはふゆう)の墓
伊波普猷(1876~1947年)は、語学学者金田一京、日本民俗学の創始者である柳田国男や折口信夫とも親交が深かった沖縄研究の第一人者です。郷土を慈しみ深く広く研究して沖縄学という分野を生み出した「沖縄学の父」といわれる伊波普猷は、琉球の歴史が刻まれた浦添城跡の隣接地のこの霊園に静かに眠っています。
沖縄県浦添市仲間2丁目(浦添城跡内)
バス:系統番号55番乗車「仲間」バス停下車、徒歩5分
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駐車場:有り(浦添城跡駐車場)
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経塚(きょうづか)の碑 [市指定史跡]
県道153号線を仲間から首里に向かって行くと経塚公民館の横の丘の上に「金剛嶺」の三文字が刻まれた石碑が立っている。これが「経塚の碑」と呼ばれ、土地の人々は氏神として参詣し、旧10月1日には、祈願祭をとりおこなっている。
尚円王統の尚真王時代(1477年~1526年)に日秀上人(紀州の真言宗知積院の住僧)が1522年、首里から浦添に通ずる道中の丘に、妖怪が出没し、人々を悩ましていることを聞いて金剛経文を小石に写して土の中に埋め、「金剛嶺」を刻んだ石碑をその上に建てた。
その後は、妖怪は現れなかったということである。今でも沖縄民間風俗で、地震や災害などのとき「チョーチカチカ」と三度唱えるのは、この金剛経が妖怪を寄せ付けなかったことにちなんでいるといわれている。
沖縄県浦添市経塚1丁目
バス:系統番号91・191番乗車「第二経塚」バス停下車、徒歩5分 詳しくはこちら
駐車場:無し
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浦添貝塚 [県指定史跡]
バイパス(国道三三○)の伊祖トンネルの上にある石灰岩丘陵の北側崖下に、貝塚があります。
この場所はもともと浅い岩陰だったようで、1969~70年(昭和44年~45)に発掘調査が行われ、約4000年前の土器や石の斧、石の臼、貝製の腕輪や矢じり、骨でつくった道具などの他、九州縄文時代後期の土器(鹿児島県市来町の地名から名付けられた市来式土器)と奄美系土器が出土し、沖縄と奄美・九州の交流があったことが確かめられました。
1972年(昭和47年)には、九州との交流を知る上貴重な遺跡であるとして、県の史跡に指定されました。
沖縄県浦添市伊祖5丁目
バス:系統番号55番乗車「伊祖四丁目」バス停下車、徒歩5分
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駐車場:有り(浦添大公園駐車場)
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伊祖城跡(いそじょうせき) [県指定史跡]
琉球史に名君としてその名を残す。英祖王誕生の地で伝えられています。英祖の誕生については伝説があり、英祖の父、恵祖世主(えそよのぬし)は天孫氏の流れをくむ人物で、伊祖城に住む伊祖の按司(あじ・豪族の首長)です。
彼には子供がなかったのですが、晩年のある日、日輪が飛んできて妻のふところに入る夢を見て、生まれた男子が英祖だといわれています。それで英祖王の神号は英祖日子(エイソのテダコ)となっています。
英祖王の父祖代々の地で、城跡内からは中国製青磁・白磁、南蛮陶器などが出土し、当時の有力な豪族の暮らしぶりがうかがえます。
城跡内からは、当時の城郭が残っており、慶良間諸島・東シナ海を展望することができます。
沖縄県浦添市伊祖3丁目
バス:系統番号99番乗車「浦添総合病院西口」下車、徒歩10分
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駐車場:有り(伊祖公園駐車場)
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仲間樋川(なかまフィージャー) [市指定史跡]
仲間樋川は浦添市内でもっとも大きな井泉の一つです。
1731年の文献「琉球国旧記」にはすでに樋(とい)が掛けられていたこが記述され集落の日常飲用水、生活用水として利用されていたようです。
昔から井泉の清浄な水はセジ(霊力)を持つと言われ信仰・祈りの場所としても大切にされています。
また水を大切に使うための様々な工夫がされ、飲み水の取水場所と行水・洗濯用の水場、馬や農工具などを洗う雑用水場を通り最後に田畑へと流れ、水の再利用がなされています。
沖縄県浦添市仲間2丁目
バス:系統番号56番乗車「浦添小学校前」バス停下車、徒歩5分
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駐車場:無し
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伊祖の高御墓(いそのたかうはか) [県指定建造物]
浦添貝塚の上部に位置し崖の中腹を掘り込んで前面を石垣で囲い込み、墓口をアーチ形にした古い形式の墓です。
英祖の父、恵祖世主(えそよのぬし)の他、二人の按司(指導者・支配者的な性格を持つ首長・領主)が納骨されていると言われています。
沖縄県浦添市伊祖5丁目
バス:系統番号55番乗車「伊祖四丁目」バス停下車、徒歩5分
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駐車場:有り(浦添大公園駐車場)
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牧港テラブのガマ(洞窟) [市指定史跡]
地元では方言で「ティランガマ」とも呼ばれている自然洞穴です。
この洞窟には伝説があり、伊豆大島に流刑になった源為朝が、潮流に流され沖縄に辿り着き、そこで大里按司の妹と結ばれ子供を授かりますが、源為朝は、ひとりで故郷へ戻ってしまいます。
幼い舜天と母が源為朝の帰りを待ち続け、牧港の地名は「待港(まちみなと)」に由来するという説もあります。
現在も「御嶽(うたき)」(祈りの場所、聖域)として信仰を集めています。
沖縄県浦添市伊祖5丁目
バス:系統番号26・32・23・63・77・223・263・20・28・29・120・228・27・52・80・110・227・31番乗車「牧港」バス停下車、徒歩5分
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駐車場:無し
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注意:中は暗いため懐中電灯などの準備オススメします。
また、祈りの場所となっているためマナーを守って見学して下さい。
浦添城の前の碑・馬ヌイ石
1597年尚寧(しょうねい)王時代に、首里から浦添城までの道路を整備した際の竣工記念碑です。
現在の石碑は沖縄戦で破壊されたため、1999年に復元されました。
表には琉球かな文字、裏は漢文で「尚寧王の命令で国民が力を合わせて、岩を刻み、道を造り石を敷き、川には虹のような橋をかけた」と記されています。石碑上部には、国王を表す太陽、優れた王だったことを示す鳳凰、琉球が豊かな土地だったことを意味する流雲がレリーフとして刻まれているのも特徴です。
また石碑の前の大きな石は馬ヌイ石と呼ばれ、浦添城に来た際にの馬の乗り降りため踏み台として使われていたそうです。
沖縄県浦添市仲間2丁目(浦添城跡内)
バス:系統番号55番乗車「仲間」バス停下車、徒歩5分
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駐車場:有り(浦添城駐車場)
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![sign[4].jpg](_src/sc899/sign5B45D.jpg)


























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